1975年8月1日(昭和50年)発売。
バンバンのメンバーであるばんばひろふみは、当時ラジオの深夜番組においてディスクジョッキーとして活動し人気も高かったが、デビューから4年経過してもまだヒット曲‼️がないことに焦り🥵を感じていた。
その頃、荒井由実の曲を聞き「他の女性シンガーとは違う。キラキラ✨️したすごい才能‼️」と感銘を受けたばんばは「彼女の曲で売れなければ諦めもつく」と考え、最後の曲として荒井由実に書いてもらいたいと思い、荒井由実に会うためあらゆる伝を探し行き着いた所が松任谷正隆であった。
そしてばんばは荒井由実と直接会い、条件を何も付けずに一曲依頼した。この曲のヒット‼️(オリコン1位👑)によりバンバンを継続することになり、ばんばは「バンバンの寿命を延ばしてくれた曲」と語っている。(なんかややかしいな!🥴)


でも高山巌が、ソロになった時にフォークの素晴らしいアルバムをリリースしている。
高山厳が1975年にリリースしたファーストアルバム『この世には愛がなさすぎる』(当時の帯のキャッチコピーが「魂のキーを叩け」) の
主な参加ミュージシャン・制作陣は以下の通りです。制作・編曲は惣領泰則(全曲の編曲・プロデュースを担当。
楽曲提供谷村新司(❝忘れません❞などの作詞・作曲を提供)アリス(バンバン脱退後の高山厳をサポートし、楽曲面で深く関かわった。
ばんばは3年後のソロ・デビュー時の音楽雑誌のインタビューで「ボクはもともとロックが好きで、高校時代はアート・ロックなんかにギンギンだったんだ。フォークなんて好きじゃなかったしね、大学に入ってフォークの連中のステージ見てたら皆”イモ”に見えちゃって、それで、こんなんだったらオレにも出来るわ、て自惚れでフォークに入っていったんですよ」などと述べている。一曲依頼したこの曲のヒット‼️によりバンバンを継続することになり、ばんばは「バンバンの寿命を延ばしてくれた曲」と語っている。
ユーミンのセルフ・カヴァーは劇的で素晴らしい!
その映画🎦いちご白書のラスト・シーンは衝撃‼️だった🫨
【🎦いちご白書】
1968年にアメリカ🇺🇸のコロンビア大学🏫で実際に起きた学園紛争をベースに、学生運動に身を投じる若者の恋と挫折を描いた青春映画。
昔、合コンで女の子から「”いちご白書をもう一度“を歌って!」とリクエストされ、おいらは気持ちを込めて歌うとその女の子が泣き出したことを(´;ω;`)ウッ…思い出す。その後、告白される流れか…⁉️(・o・;)と思ったら何もなかった。ウ〜ン…マンダム!🤔

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高山厳が出て来るとは恐れ入りました
会社時代、先輩がカラオケでは毎回高山厳の「悲しみを一粒の涙」ばかり歌ってたので、嫌でもこちらも歌詞を覚えたもんです
バフィーセントメリー、良いね
おいらはDJサイチンだ!高山巌のアルバムのカセット持ってたよ。実に素晴らしいアルバム。
バフィー・セントメリーは素敵だ!確か、バフィー・セントメリーはインディアンやったよね?