❝我が良き友よ❞かまやつひろしの代表曲であり、前年にシングル❝シンシア❞を連名で発表した吉田拓郎から提供を受け大ヒット‼️した。かまやつのキャリアでは唯一のオリコン月間・週間チャート1位👑獲得曲🎶であり、1975年度オリコンシングル年間チャートで9位を記録した。
シングルの累計売上は90万枚。レコーディングは拓郎とかまやつの二人でやった。イントロのリードギターは高中正義によるものである。バンジョーを弾いているのは松任谷正隆である。
高中正義が弾くハードな音のギターが効くイントロ、歌が始まるとカントリー&ウェスタン畑出身のかまやつの声にマンタのバンジョーも絡まり、ほんわかとしたカントリーテイストが一気に高まる。
重要なのはかまやつの声で、下手したら実に古臭いバンカラソングに聞こえる曲をパロディ化し、いくぶんコミカル化することで大衆に受け入れられたんだろう。拓郎本人が歌ったら、暑苦しくてそんなに売れなかったのではないか⁉️やはり「ムッシュにぴったりの曲」と閃いた拓郎のセンスが光る!かまやつひろしは、蛮カラとは対極にある一番ブリティッシュ🇬🇧ナイズされた伊達男やったからね🤠



拓郎が歌ったアルバムないかぁ〜🥴

- 木戸やすひろ(Vocal&Chorus)
- 陣内大蔵(Guitar)
- 高中正義(Guitar)
- 武部聡志(Keyboard Synth)
- 中川雅也(Guitar)
- 森高千里(Drums)
- 吉田建(Bass)
やっぱ拓郎の歌やな〜🤠
ドラムブレイクはカースケかと思ったら
なんと!森高千里嬢💆しかし、拓郎よく千里嬢を口説かんかったことやな…翌年、千里嬢は江口と結婚したけど…🤔独身のいい女が💆いたら「とりあえず口説け!」が拓郎の流儀。千里嬢に「私、結婚するの🩷江口さんと…👩❤️💋👨」と言われフラれたと見た!🤣

歌詞に出てくる蛮カラ風の大学生は拓郎の広島商科大学(現広島修道大学)時代の同級生がモデルであるが、歌のモデルは拓郎と思われることも多く、拓郎がブティックに立ち寄った時、店員から「あれ?今日は下駄じゃないんですか?」と言われたという。

またかまやつは、あえて誰も思いつかないような時代に、ミスマッチ的(ファッションはニュートラ〜DCブランドの時代)時代と流行りが逆行するような曲を書いた拓郎のヒット曲‼️に対する独特な感性や先見性にも改めて感心させられたと言う。

そういえばおいらにやたらと喧嘩を吹っかけてくる中高同じだったK君が大学生になった時、JR六甲道の改札口で会った。近大の応援団に入部したらしく、長ランにラッパズボンを穿き、おまけに下駄まで履いて、(背の低いヤツなのに下駄のせいで身長が5cmは高かった)俺に絡んできた事があった。おいらは「いつでも勝負してもいい!」と思ってた。その時の六甲道駅でのK君との会話だ。

K君「おう斎藤やんけ!ワシャのぉ〜近大の援団に入ったんや!( ̄ー ̄)ニヤリ」
おいら「ほんまか⁉️えらいカッコええやんけ🤠」
K君「せやろ?なんか言いたいことあったら言えや!😬」
おいら「ほな言わせてもらうわ。学ランちゅうもんはな、高校の時に着てこそ価値あるもんや!😎」「今の世の中は、BIGIやギャルソンの時代やで…ちょっと遅かったかのぉ〜🤣」
K君「じゃがっしぃ〰️‼️🤬いてもたろか!」
おいら「いつでも来いや‼️🤪」
そんなやり取りを思いだした。(笑)結局、一度も拳を交わさず仕舞い。今では何故か❝我が良き友❞となっている(笑)
話を戻そう。当時はまだ音楽プロデューサーという職種が音楽業界では理解されていなかった。また歌謡曲の世界では編曲家が重宝されていたが、フォークやロックではアレンジャーの認識はまだ低いものだった。❝我が良き友よ❞の編曲を担当していたのは瀬尾一三だった。瀬尾はここから編曲家として名を上げていき、拓郎や中島みゆき作品で重要な役割を果たして、プロデューサーとして認められていった。

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千葉県に稲毛という所がある。
そこで、ある日IKKOさんが瀬尾一三を見かけた。驚いて発したひと言。
「瀬尾、いなげー!」
コラムと何の関係もないし…(笑)
言いたいだけやな(笑)