🌟Morning Highway🌟🎙杏里

作詞:岩里祐穂

作曲:岩里祐穂

歌詞もメロディ~♬.*゚も何気に桑田風…

杏里は、SSW(シンガー・ソング・ライター)
本名は川島 栄子。
ピンと来ないね…ププ━(〃>З<)━ッ!!!

1978年、17歳(高校2年生)の時、後にJ-POPSスタンダードナンバーになった“オリビアを聴きながら”でデビュー✨(作詞作曲:尾崎亜美)
その後も積極的に海外レコーディングを行い、海外のアーティストやミュージシャンとのコラボレーションが多い。
特に、ピーボ・ブライソン、フィリップ・ベイリー(EW&F)、ジョニー・ギル、マイケル・フランクスなど、アメリカの偉大なアーティストとのデュエットが多く、外国人バックダンサーを日本で初めて起用するなど、常にグローバルで革新的なスタイルを切り拓いてきた。

1982年に当時のバックバンド『スプリット・ココナッツ』のメンバーでもあった小林武史が作曲して、花王のCMで使われたシングル盤『思いきりアメリカン』と同シングル曲を収録したベストアルバム『思いきりアメリカン 』がヒット!全盛期の杏里の代名詞とも言える『夏』『海』のイメージが出来上がった。

1983年には当時まだ無名で、同事務所所属であった角松敏生に、5枚目のアルバム『Bi・Ki・Ni』のA面5曲プロデュースを任せて、洗練された音楽のイメージで、アーティスト杏里を誕生させた。
まさに、角松注入💙だ。ここから杏里の快進撃!が始まった。

6月に発表した『Bi・Ki・Ni』自己最高のオリコンアルバムチャート27位⬆️を記録した。
8月には日本テレビから依頼を受けアニメ『キャッツ♥️アイ』の主題歌“CAT’S EYE”のシングルを発売した。
アニメの歌ということで本人も初めは抵抗あったが、楽曲の良さから自分を変えるきっかけになるかもという予感がしたそうで、結果的に大ヒットし、自身初のオリコン1位👑に輝き、彼女の代表曲の一つとなった。

《Cat’s eye》

作詞:三浦徳子
作曲:小田裕一郎

✱松田聖子の”青い珊瑚礁”のヒットコンビ♬.*゚

その直後に発売したシングル“悲しみがとまらない”(角松敏生によるプロデュース)も連続大ヒット‼️2曲揃ってオリコンベスト10入りを果たした!

12月には、これら2大ヒットシングルを収録した角松フルプロデュースのアルバム『Timely!!』を発表してこちらもオリコン1位👑の大ヒット‼️となり、年末の第34回NHK紅白歌合戦に初出場して杏里は不動の人気を得ることになる。
杏里角松敏生のコンビはは、夏🌞🏝音楽最強!のアイコンとなった。

まぁ言えば角松は杏里のアルバム・ジャックをした訳で、2人は付き合っていた…と言うのは結構有名な話。角松はトーク好きでライブで「髪が長くて色が黒くて目が離れてる女に送った曲です」なんて事も平気で言っていた。大ヒット‼️した”Timely”次のアルバム『COOOL』の入っているデュエットの名曲

“I can’t ever change your love for me”の頃、2人の関係は潮時だったのかも知れない…
そう思って聴くと杏里が可哀想に思えてくる…

タイトルを訳すと「貴方の私への愛情を変えることは決してできない」となる。
ややこしい表現ですな!⋯🤔💭

“I Can’t Stop The Loneliness~悲しみがとまらない”

作詞:康珍化
作曲:林哲司
編曲:林哲司/角松敏生

角松にCAの友達を会わせたらアカンって!(笑)


この頃、梅田のCLUB『PLATINUM』で、杏里のニュー・アルバム(多分COOOL)の発表会のコンベンションがあった。
俺も杏里に会いたかったし参加し、各テーブルを彼女が回って挨拶をしに来た時、彼女とほんの少し会話を交わした。

杏里は170cmのくらいの身長だけど、顔が小さいのでかなり背が高く見えた。そして腕を組んで笑みを浮かべていた。(◎_◎;) ドキッ!!

俺「あいかわらず日に焼けて真っ黒すね~ꉂ( ˊᗜ`⸝⸝)」

杏里「そうでしょ?ハワイに写真集の撮影に行ってたのよ」

俺「その写真集…水着ありすか?」

杏里「あるわよ❤️貴方、私の水着に興味あるの?」

俺「ありありですよ!(笑)足見た事ないんで(˶ᐢᗜᐢ˶)!」

杏里「(σ´֊`)フフフw じゃあ買ってくれるの?」

俺「もちろん買いますよ!今日ここで買えるの?」

杏里「まだ発売されてないのよ」

俺「そうなんすか…残念!あれば写真集にサインもらってたのに…」

杏里「そうだね~」

そんな感じで、彼女はとてもフランクに会話をしてくれた。
彼女の鼻は、小さなカニ🦀がちょこんと乗ってるようでとても可愛いらしかった。(⁎•ᴗ‹。)ネッ*

俺は、彼女のスカート姿を見た事がない。エスニック風の足首まであるインド綿の布を巻いているのは見た事がある。膝丈から下を見た事がないのだ。
常にパンツルックの彼女だけど、その日も『杏里は洒落たパンツ(^o^)ノ イエー! 』って感じのオフホワイトのパンツを穿いていた。

“杏里は洒落たパンツ(^o^)ノ イエー!”
➡️アンリシャレタパンツイェ~
➡️アンリ・シャルパンティエ🎂

コレでオチたでしょう…(´>ω∂`)☆

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4件のコメント

杏里は私の1学年下で、近所に住んでいました。調べたところ、私の出身高校の隣にあった中学校の出身だそうです。
因みにAKBの川栄李奈とV6の長野博が私の小学校の後輩であることもついでに発覚しました。 
デビュー直後に近所のサウナ屋の娘だと言うことを地元のヤンキーの友達から聞きましたが、もちろん会ったことはありません。
当時は杏里の同期の竹内まりやのファンだったので、どうやったら竹内まりやに会えるかの方を優先して考えていました。結局、未だに生で見たことはありません。旦那の山下達郎ならコンベンションで間近に見ましたが。

杏里が近所に住んでいた??マジかっ!そんな、環境にいてあなたは何をしているのですか!?
俺なら何としてでも友達になって、サーフィンに連れて行ってましたね。
オイラの近所にはアン・ルイスが住んでいてどれだけ六甲駅で張り込みを続けた事か…‍
結局、会えずじまいだったけど、アンちゃんの学校は俺の中学の上にあった、カナディアン・アカデミーやった。

アン繋がりですか!
アン・ルイスは関西人だったんですね。知らんかった!
でも関西にいたら、まだアン・ミカなら会えるかもしれないですね。しらんけど。

そうやね。アンミカなら普通に街で見かけるかもね。
君の住んでる東京なら、”アン・ガールズ田中”ならいつでも会えるのではないでしょうか…

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DJ Saichin Records
【サイチンのプロフィール】 某大手音楽ソフトリテイラーとして、長きにわたりマネージャーを務め、その後カリフォルニアスタイルのロングボードサーフ&ファッション・ショップを12年経営した。 ロングボード、ウィンドサーフィン、スキー、スノーボードなどの横乗り系スポーツ、バイク、車、ファッション、映画、旅行、雑貨、B級グルメ等、多岐の趣味を持っている。 音楽に関しては、洋楽、J−POPSのジャンルを問わず好きです。 所有レコード5000枚以上、CD4000枚。 好きな言葉は"Free&Easy" 座右の銘は"明日は明日の風が吹く"