もう幾度となくおいらの多幸感💟音楽であげているマサやん。おいらのお気に入りのSSWだ。この曲🎶の製作陣は、太田裕美と同じ。まさか桑名はデビュー当時はアイドル枠⁉️🫨
❝哀愁トゥナイト❞は、作詞の松本隆、作曲の筒美京平という、歌謡界を代表する黄金🏅コンビが手がけた。歌謡ロック🎸の先駆けチューン🎶
都会的で洗練されたポップスのメロディ🎵に、桑名のハスキーでエッジの効いたロックヴォーカルが融合し、独特の色気💙と哀愁を醸し出している。桑名正博自身の作曲のヒット曲も多くあるけどあ、やはり桑名の1曲☝️と言えば❝哀愁トゥナイト❞になると思う。それほど筒美京平氏の曲は凄いのだ!
1978年の名盤アルバムCommunicationなどにも収録されている。

ロックを日本語で歌うことを様々なアーティストが試行錯誤していた黎明期、そんな時代にあって、桑名は日本語でロックを見事に歌いこなす大変貴重な存在として、かなり評判になっていた。1977年6月5日に哀愁トゥナイトがリリースされた。ちなみにサザン★オールスターズは翌年の1978年6月25日にシングル❝勝手にシンドバッド❞でデビュー❇️
俺たちはこんなサウンド🎵を待っていたのだ。🤩筒美京平氏も尾崎紀世彦以降、流暢な英語で歌えるシンガーを探していたのだ。

興味深いのは、東のキャロル(1972年デビュー)革ジャンとリーゼントの不良スタイルで爆発的💥な人気を博した。一方西のファニカン(1971年結成)桑名正博がヴォーカルを務め、関西を拠点に高い音楽性と圧倒的なエネルギーで熱狂的な支持を集めたファニー・カンパニー。リーゼント(正確にはポンパドール)の下町ロック(キャロル)🆚ロン毛カリフォルニアスタイル(ファニー・カンパニー)だ。しかし、大阪ローカル・バンドで、終わらなかったのは、やはりソロ・デビュー曲を筒美京平氏が書いたからだ。やはりメディアに多く露出しなければ、桑名正博はそこまで認知されなかったかも知れない。桑名が全国的に知られたのは❝哀愁トゥナイト❞が大ヒット‼️したおかげでテレビの音楽番組にも頻繁に出られたからだろう。

編曲:ファニー・カンパニ
矢沢永吉が貧乏から這い上がった”成り上がり”だったのに対して、桑名は今のユニバーサルスタジオ・ジャパンのある土地をもともと持っていたというほどの、由緒ある大会社の長男で、音楽に対してもガツガツした感じはなく、両者のキャラは対照的だった。ちなみに、ファニー・カンパニーの他のメンバーも社長や医者の息子といったボンボン揃いだった。まあ、当時はお金がなかったらそうそう楽器も買えない時代。”ボンボンの不良”というのは、ハングリーな不良には出すことのできない独特の色気💙があって、時代的に合っていたと思う。余裕のあるカッコよさかあっていいよね。
シングル❝哀愁トゥナイト❞のB面がこれまたお洒落なサマーエンド・バラード❝さよならの夏❞。こんなサウンドは今までなかった。歌詞もスタイリッシュ❇️ AORなんやね。
おいらは大学1回生の時は4輪免許を取ってキャロルをカーコンポ🚘️でガンガン🔊かけて街を流していたけど、3回生になると芦屋市民プールでラジカセで桑名を流していた。そんなおいらは、硬派🤨⁉️軟派🤪⁉️
最高ジャネ⁉️
もんたも桑名もいなくなったね。あり得ない!(´;ω;`)ブワッそして筒美先生も‥
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