初の沖縄出身のアイドル🤎南沙織のファースト・アルバム❝17才❞と同時発売されたセカンド・シングル。イントロの潮風の香りが漂ってくるようなアレンジは、「南の海からやってきた少女」というイメージをより広げるためだったと音楽プロデューサー・酒井政利がのちに語っている。さすがは筒美京平のアレンジだ。たまらない哀愁を帯びている…昭和🌼アイドル歌謡の真髄!✨️

本シングルの発売日には ❝三人娘❞”として肩を並べた天地真理が、❝水色の恋❞でレコード・デビューをしている。
筒美京平は、ヒット‼️こそ生まれなかったけど、天地真理にも曲を書いている。京平先生は、南沙織には多くの曲を提供し、数多くのヒット曲‼️を生んでいる。
作曲家・筒美京平が南沙織に数多くの楽曲を提供した最大の理由は、彼女の歌声(声質)と素材としての新鮮さに筒美が「一声ぼれ」し、自身の目指すモダンなポップスを表現する上で最高のミューズ(表現者)だったから。
《筒美京平と南沙織の主な代表作》

筒美京平が彼女に当て書きした楽曲は、日本の「シンガー型アイドル」のベースを築き上げた。❝17才❞ (1971年) デビュー曲にして、南沙織の代名詞となったポップスの金字塔❇️。
❝潮風のメロディ❞ (1971年) 初期の爽快な海岸サウンドを決定づけた名曲。❝純潔❞ ❝傷つく世代❞ (1972〜1973年) は、少し大人びたビートの効いた歌謡ポップス。

❝人魚❞ (1994年) ※NOKKOによる筒美作品のカヴァーだけど、南沙織が切り開いた女性ポップスの系譜はのちの世代へも強く受け継がれてゆく。
筒美京平にとって南沙織は、単に『売れるアイドル』というだけでなく、「自分のペン✒️で日本の新しいポップス(J-POPの夜明け)を創り出すための、最高のパートナー」だったからこそ、あれほど多くの情熱を注ぎ、曲を書き続けたのだ。
1️⃣歌声への「一声ぼれ」と、強い音楽的インスピレーションデビュー前、まだアメリカ統治下にあった沖縄から上京したばかりの南沙織が、スタジオで筒美のピアノに合わせて洋楽(リン・アンダーソンの『ローズ・ガーデン』)を流暢な英語で歌った際、筒美は「この子はいい!」と一瞬でその声に魅了(一声ぼれ)された。
https://youtu.be/0eutWYqXhrE?si=3m4ZgnY3iQ8VnhTl
❝17才❞▽の曲は、このカントリー・シンガーリン・アンダーソンの❝ローズガーデン❞にインスパイアされて生まれた曲なのだ。この発音に惚れたのだ🤩
筒美京平は「歌手の声質からインスピレーションを受けて曲を書く」職人気質の作曲家であり、南沙織の持つ健康的❇️でどこか哀愁🍃を帯びた洋楽的🎶な響きを持つ声は、彼の創作意欲を激しく刺激し続けた。
2️⃣筒美が求める「光」の体現者伝説の音楽プロデューサー・酒井政利の証言によると、筒美京平は歌手の歌い方に常に「光」を求めていたと言う。
後に酒井が手がけた山口百恵は「陰」の魅力を持っていたため、筒美はあえて百恵には曲を書かなかった。一方で、南沙織はまさにその「光」を体現する存在であり、彼女の健康的で瑞々しい✨️キャラクターは、筒美のモダンで軽快なポップスサウンドに完璧にどんぴしゃ‼️だったという。
3️⃣「新しい洋楽ポップス」を作るという制作陣の合致当時、新興レコード会社だったCBS・ソニーでプロデューサーを務めていた酒井政利は、従来の歌謡曲にはない「新鮮な洋楽テイストの音楽」を求めていた。元洋楽ディレクターであり、最先端の海外ポップス🎵を日本流に昇華❇️させる天才だった筒美は、まさにうってつけの存在。この「酒井プロデュース✖️有馬三恵子(作詞)×筒美京平(作曲)」という黄金✨️の制作チームが固定されたことで、デビュー曲❝17才❞の大ヒット‼️を皮切りに、次々とクオリティの高い楽曲が量産される環境が整つもたのだ。

高校の学校の帰り、当時の彼女と神戸は岡本の山手にあったガラス張りのガーデン・スタイルの喫茶店でコーヒー☕を飲んでいたときに店内の有線♬で流れていたのを思い出した。めちゃくちゃ楽しかった!🤠。おいらは果たして純情な気持ちで彼女と👫付き合っていたんやろか🤔…いや!ほんの一欠片の純な気持ちはあった!🧑
このロック感🎸いいね!🤩シンシアしか歌えないロック★チューン🎶
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