1980年(昭和55年)にリリースされた小柳ルミ子の30枚目のシングルで、筒美京平によるオリエンタルな歌謡ディスコ🌐✨️サウンドが特徴のスマッシュ‼️ヒット曲。町にはこの後、喫茶店やスナックに❝来夢来人❞という店が多く現れたように思う。
【筒美京平と小柳ルミ子のエピソード】1980年、当時28歳だった小柳ルミ子が、憧れだった筒美京平氏に新曲✨️の制作を依頼した。出来上がってきた譜面🎼見た小柳は、そのあまりの難しさに「えーっ!難しい曲!!!」と驚いたと言う。

その際に筒美氏が語ったのが、「ルミ子ちゃんは曲を食べちゃう(歌が上手すぎて曲がルミ子ちゃんに負けてしまう)の!だから、ヒーヒー四苦八苦するくらい難しい曲をあえて書いたんだ!」という理由だった。

こうして誕生したのが、1980年にリリースされたシングル❝来夢来人❞小柳ルミ子はのちに、自身のブログなどでこの秘話を明かし、「超難しい曲だけど、大好きな歌」と語っている。
激しいリズムの変化や転調、激しい音域の上下がある非常に難易度の高い楽曲で。筒美氏は「ルミちゃんを唸らせたい」という意図であえて難しい曲を提供し、彼女は見事な歌唱力でそれに応えた。

ディスコ歌謡の隠れた名曲❇️和風の歌詞と情熱的なディスコ🕺アレンジのミスマッチが心地良く、大人の魅力💋を引き出したエキゾチックな名曲✨️
小柳ルミ子というと❝わたしの城下町❞や❝瀬戸の花嫁❞、 ❝漁火恋歌❞等のヒット‼️は、平尾昌晃氏のイメージが強く、その小柳ルミ子のそのアイドルらしからぬ容貌から、『和のテイストの歌謡曲』という認識の人も多いやろね。


瀬戸わんや♪日暮れてんや♪
恒例になった、おかん壇上上げ 涙😭の受賞式🏆️

小柳は、母が叶えられなかった『歌手』という夢を実現すべく、小さい頃からスパルタ教育を受けてきた。宝塚での厳しい環境のなか、苦悩の手紙を送っても電話をかけても、母は取り合ってくれなかったという。しかしその後、母に送った手紙を見ると涙が滲んでいたそうだ。
また、息を引き取る直前には、離れた地方から母に電話で『瀬戸の花嫁』を歌ったと涙ながらに明かした。たまらんね(ノД`)シクシク

小柳ルミ子は、天地真理が、国民的アイドル🩷ともてはやされ、彼女ばかりがチヤホヤされているのが余程悔しかったらしい。歌も私の方が上手いのに何で彼女の周りにはいつも人が一杯集まるの?そして彼女に比べて、不遇だった自分の環境を恨らみ、そのあまりにも差のある待遇差に歌手を辞めようとまでも思ったこともあり、ずっとやるせない嫉妬に苛まれていたらしい。そこで番組の企画で天地真理と40年ぶりの再会を果たすこととなった。とてもいい再会やったね。
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