正隆ちゃんのイントロのアレンジが素晴らしい!🤓
梅雨期に☔に入りしましたね。連日、雨の日が続くけど、雨が降らないと大事なお米も🍚収穫できません。緑も育ちません。必要なんです。そんなマイナス気分を➕️に変えてくれる雨の名曲をしばらくセレクトしてみます。
1975年6月20日に荒井由実が発売した3枚目のオリジナルアルバムCOBALT HOURに収録されているめちゃめちゃエモすぎる雨の名曲✨️だ。

このアルバムには、みんなもいろいろな思い出があるんじゃないかな?🤠おいらは大学1回生の時で、運転免許を取得するために、大学と自動車学校の両方に通っていた頃だった。約3カ月くらいか🤔…キーヤンは先に行っていたので、おいらはキーヤンに追いつくために敢えて、めっちゃ怖くて厳しいラストの車番30という噂だった鬼教官を選んだ。実地講習のお代わり受講したい時にいつも空いたのが30番だった。鬼教官は、ちゃんと仕業点検をしなかったらキツめに怒られたし、なかなかA評定もらえなかったけど、おいらがいつも指名していたので、鬼教官も普通よりちょっと厳しい教官くらいまで柔和になっていた。でも厳しい指導のおかげでおいらは運転はかなり巧くなっていた。そして、いつも緊張してたから仮免検定時は、ノー・緊張だった♪~(´ε` )

おいらは、甲子園自動車学校という教習所に通っていた。関学のキーやん🧑🏫という友人と一緒に通っていたけど、キーやん🧑🏫は何でも器用に熟す所があって、すべて一発!で、各段階の検定をパスしていた。おいらは仮免の検定を1度落ちていて、キーやんは既に路上教習に入っていて、別々に自動車学校に通うことになった。
一緒に送迎バスに乗っていたのも、おいら独りで乗ることになった。ちょうど6月の梅雨時だった。その送迎バスのカーラジオから、この❝雨のステーション❞がふと、流れてきた。バスには3人しか生徒は乗っていなかった。自動車学校からJR甲子園駅までの雨の街をゆっくりと走るマイクロバス。おいらは街路樹を眺めながらこの曲を聴いていた。とてもの雨の街と曲が合っていたから、今でもその時のモーメントをハッキリと覚えている。

スムースに各段階をクリア出来れば雨の街を眺める気分も決して暗くはならないんだろうけど、ちょっとその頃は気分は沈んでいた。教習が楽しい!🤠段階ではなかった。
第三段階の見極め検定では、S字、クランク、坂道発進、縦列駐車は(なぜか簡単な車庫入れが苦手だった)、特にミスもなく進んでいたのだけれど、最後にスタート地点に戻ってきた時に、おいらの前を生徒がフッと横切り、助手席に乗っていた教官が右手を左に2度振ったのを、「もっと幅寄せして」という動作と捉えてしまい、おいらは咄嗟にハンドルを左に切り、歩道に乗り上げてしまった。その右手は横切ってる生徒に「邪魔だから、早く渡りなさい」のアクションだったのだ。「クソっ!🤬」
「アホな!🥵最後になんてこった!」それだけではなかった。おいらは最後に自分の運転席のドア・ロックを忘れていたことに気づき、肘で音を立てずにそっと下ろしたのだ。そうしたら思いのほか「カツン!」という音が車内に響いた。教官は「ロックを忘れてたんやね?」と言って最後に減点をされてしまった。「しまった!🫨放っておけばバレてなかったんか〰️い!(ᗒᗩᗕ)」
結局、それが致命的な減点になって、おいらは検定に落ちたのだ。おいらは本当にツイテいなかった。あの横切り男さえいなければ通っていた。教官もいらんことしやがって!🤬
蒼く煙る水無月…❝雨のステーション❞を聴くとそんなシチュエーションを思い出す…(。ŏ﹏ŏ)
キーやん🧑🏫元気かな…

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出た!「G藤さん構文」。
「毎日雨が降って嫌だ!なんて思っているんじゃないだろうね。雨が降らないと稲が育たない、美味しいお米も食べられないんじゃ〜、〜」から始まる話を新入社員時代にG藤さんから聞いて、衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えています。
子どもが3歳ぐらいの時に半年ほど単身赴任をしていた時期があり、何度か息子宛に手紙を書いていたことがあります。その時もちょうど梅雨時だったので、G藤構文を子供向きにアレンジして、書きました。
彼もG藤構文が好きだったらしく、その手紙を大きくなってからも大事にとっていて、時々読み返していました。彼も今は誰かに向かってG藤構文で話しかけているかもしれません。こうやってG藤構文は様々な人間に引き継がれて行くのですね。
G藤さんは元気にしているのでしょうか?
もしかしてヅラ?パイセンとは、もう20年以上会ってないなぁ〜。宮崎にいるという情報は昔、聞いてたけど…会いたいけどね〜