山下達郎の”夏の歌”と言うと❝高気圧ガール❞ ❝Sparkle❞ ❝Loveland Island❞に代表される16ビートのチューンを連想するけど、❝夏の扉❞は、ミディアムテンポの8ビート
タイトルこそ❝夏への扉❞だけど、同名のSF小説を基にした作詞は吉田美奈子なので、『夏の歌』にカテゴライズするのはどうかな?
…なんしか吉田美奈子様は、冬やRainyの御方ですから…
そしてこの曲は、80~90年代はライブの定番曲だったけど、2000年代年代以降はほとんど演っていないチューンやね。

アルバムMOONGLOWのレコーディング中の1979年夏、達郎はオルガン・プレイヤー、ドン・ルイスの来日公演に参加した吉田美奈子から、同じく参加メンバーだった当時まだ22歳のドラマー青山純を紹介された。青山は、佐藤博のグループ“ハイタイムス”で共にメンバーだったベーシスト伊藤広規と、達郎のバンドメンバー・オーディションを兼ねたセッションに参加することになった。

広規「ワシ、マジメやし!そんで足なごう見えるがな」純「ほ〜け。ワシはバスドラばっかり踏んどるよって、足の成長止まってもうたんや!ふくらはぎブリみたいになってもうたがな…」「インしたら余計足、短か見えるよって、あえて外出しやねん」
青山によれば「とにかく、じゃあまずこの曲をやってみよう」と達郎から渡された譜面には、❝ついておいで❞と、タイトルが書かれていたという。青山は「この曲ならちょっとは知っているし、好きなドラム・パターンだし」と思い、その曲に始まり、その後、数曲のセッションを終えてもう終わりかと思う頃、達郎はその後も次々と譜面を出してきたが、それでも伊藤と共に演奏できない曲はほとんど無かったので助かったという。
イントロの達郎のコーラス的なヴォーカルから、突然!❝そんなときは
達郎さんの溢れんばかりの才能が見事!開花
珠玉

ワシらかて高校ん時は、コレもんよ
そんな中…曲名は忘れたというが6/8拍子のおよそロックしかやっていないドラマーだと叩けないようなバラード曲の譜面を出してきた。後に青山は「きっと若造だった我々にはおそらく無かったであろう渋さを試してみよう」と、「達郎さんも期待はそんなにしていなかっただろうと思っていた」というが、当時からその手の音楽が好きだったがゆえ、演奏経験の乏しさは否めないが二人とも何の抵抗も無く、青山は「気持ちいいなぁ!」と思いながら演奏を終えた。
その直後、達郎さんからかなり怖い顔つきで「ねぇ君、青山君だっけ? あのさぁ、歳いくつなんだっけ?」との問いに「22歳ですけど、何か? まずいッスかねぇ?」と返すと、「何で今やったような曲のドラムも叩けんのよおかしいよ…その歳で!」と言われたという。

雑多なパターンの曲を演奏したいという作家志向の強い達郎は、それまでは多くのミュージシャンと演奏してきて、曲調♬に合わせてメンバーを使い分けてきた。スタジオではそれで十分でもライブ・ステージとなるとメンバーの選定によっては演奏できない曲調がどうしても出てしまったが、その点でどんなスタイルも自身の満足するグレードで演奏できるはじめてのコンビが❝青山純&伊藤広規❞だった。


彼らとの出会いによって、ライブでの演奏レパートリーが飛躍的に増え、シュガー・ベイブ以来、自身の思い描いていたライブの理想パターンが初めて現実化する見込みが出てきた。
結局その日のオーディションのようなセッションが一回行われた後、次回からはステージで演奏するためのリハーサルに突入した。彼等は1979年の暮れからライブの正式メンバーとなり、さらに年が明けてからはレコーディングのメンバーにもなっていった。
こうして❝青山&伊藤❞の2人がGO AHEADからのメンバーである、難波弘之と椎名和夫に合流し、ようやくレコーディングとライブを共通の固定メンバーで行えるよらすうになった。


練習スタジオでパターンを練り上げ、スタジオに持って行ってレコーディングを行うという作業もメンバーが固定したこの頃から始まり、様々なリズム・パターンを実践的に試みて曲作りに反映させる方法は、家で一人で考えるそれまでのやり方からは思いつかない多くのアイデアを生み出した。この鉄壁のリズム隊を手に入れた達郎は、 Ride━━━━(゚∀゚)━━━On Timeと、叫んだ!とか叫ばなかったとか…

最後にもう一つ達郎は、ソロ・デビューからLyricsのほとんどを吉田美奈子に任せてきたけど、その中でも彼女の最高傑作
は、❝DayDream❞だと、言っている。確かに自由で奔放なLyricsだ。様々な色の名前を並べながら、夏の午後のまどろむような空気感を見事に表現している。普段あまり聞くことのないような難しい色ばかりなのに、何故か色鮮やかな夏の空の色彩感が聴く者の頭の中に情景として浮かんでくる。
ライブでは、オープニング❝Sparkle❞の次に演奏される事が多い、達郎のお気に入りの楽曲の一つだ。


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