音♬風〜🎐まだまだ盛夏🍧の暑さ😵‍💫💦🌡️残暑🌞お見舞い申し上げます!🥵 聴いて少しは涼しくなりましょ!(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠) 『VIVA!JPOPS 70❜80❜&90❜』 ❝君がいた夏❞🎙️Mr.Children

歌詞が初々しくて✨️とても可愛いね!🥰

君がいた夏』は、Mr.Childrenによるデビュー❇️シングル。1992年8月21日にトイズファクトリーより発売された。

FM802の『月間ヘビーローテーション』チューン♬にピック・アップされた。関西ではこのヘビー🔁ローテーションは、絶大な力を持っていて、選ばれると1ヶ月の間に頻繁に流れるので、関西では人気No.1のFMステーションだったので、ヒット‼️を約束されたようなものだった。

この曲にはかなり昔だけど、なかなか思い出深いエピソードがあるのでそれを披露したい。

神戸ハーバーランドは、1992年10月にグランド・オープンし、おいらが、神戸西武百貨店の、WAVE神戸店の初代マネージャーに任命され、ちょうど新店舗オープンとして、各レコード・メーカーに挨拶と、協賛をお願いしに、東京からやってきたアルパチーノ似の原田部長という人と共に回っていた。原田部長は東京では絶対な力を持っていて、原田組という大きなグループがあり、まるで白い巨塔の財前教授の総回診如きの、15人くらいの徒党を組んでズンズンと、渋谷の飲み屋街を闊歩していた。チーマーに絡まれたらどうすんねん⁉️🤨取り巻きに強そうな奴1人もおらんがな!🤔

原ブ〜(原田部長)は、160cm位の小柄で、ヒゲ剃り後が保毛尾田保毛男のように青々としてして、薄いピンクやラベンダー色のドレスシャツを着ていて、ネクタイの結び目が、おにぎりせんべいのように大きく、ヒールの高い革靴を履き、煙草は珍しい『峰』を吸っていた。

とにかくビールが大好きで、原ブ〜は全店店長会議のときには、必ず「さぁ!飲み🍺に行きましょう」と号令を掛けると、『原田一家』と呼ばれる主流の店長クラスの人間、十数人が徒党を組んでゾロゾロと、夜の飲み屋街に出かけていくのだった。

原ブ〜はおいらのようなガタイがデカくワイルドな男は好きではなかった。まして、欧羅巴好きな原ブ〜は、下品な関西を忌み嫌っていたのだ。だが、事情があって関西地区の部長としてやって来たのだ。

「アタシはね〜細く色白で青い血管が浮き出てるような少年っぽい子がが好きなのよ💙斎藤くんみたいにね顔の黒いレスラーみたいな人は苦手なのよ…」と、おいらに言ってきた。「誰がレスラーやねん!(⁠눈⁠‸⁠눈⁠)ワシは、バーン・ガニアかっ!🤬」要はLGBTで言えば、🅱️のバイ・セクシャルなのだ。奥さんも子供もいたのに原ブ〜は男色💙だったのだ。

まぁ関西では、原ブ〜を崇拝していた店長が一人二人いるだけだったので、また『原田一家関西支部』でも作るんやろか…『まっ、お手並み拝見!といくか!』いう気持ちだった。

原ブ〜に初めて会ったのは、船橋店に赴任して数日経ってた時に店に現れ、Kマネージャーを相手にもしてなくて、店長代行や周りの店舗の店長は原ブ〜を崇拝していた。何故、原ブ〜はそんなにも崇拝されていたのか…聞くところによると経営陣に批判的で、現場主義だったかららしい。それと、1度でもディスクポート西武やWAVEでミュージック・テープを購入した人ならわかるだろうが、中身を抜いて保管していたのだ。だから店頭に陳列されているのはケースのみなのだ。それは万引き対策として絶大な効果を生み出したという。現場主義と言いながら、現場はとても面倒くさい作業を強いられていたのだ。その中身のカセット。保管するロッカーも特注だった。当時は全国で50店舗あったから、そこそこの経費になっただろう。このシステムの駄目なところは、プレゼントとして、ミュージック・テープを購入しても封を切られているので新品とは言えないのだ。おいらならそれが分かった時点で買わないし、もし買って気付けば返品する代物だった。たまに、中身が見つからない時は、とんでもなくお客さんを待たすことになったり、カセットが汚れていたりしていた。空ケースだけをパクられ中身だけが残ったカセットは『中身テープ』とかいう聞いたことのないようなネーミングで半額で売ったりしていた。でも、それが商品ロスを激減させたことにより、原ブ〜の功績となったのだ。原ブ〜ではなく、空ブ〜というニックネームの方が良かったかも知れない。話が逸れてしまった。元に🔃戻そう。🥴

おいらは代行にストック整理を任されて、レコード什器の下の扉を開けてゴソゴソレコードを整理してると、人の気配がして、思わず振り返るると原ブ〜が万引きGメンんのように陰からおいら見ていた。おいらは「誰やねん!この保毛尾田保毛男みたいおっさんは!😬」

と、怪訝な顔をしてたら、なんと彼はおいらを、万引きと勘違いしていたらしいのだ。まだおいらは、赴任したばかりなんで原ブ〜はおいらの顔を知らないし、もちろんおいらも知らない。『なんちゅう失礼な奴やねん!😬』と、思ったのは言うまでもない。なのでこの人の印象は最悪のものとなっていた。

そんな曰く付きの関係の部長が西下してきたのだ。前部長には可愛がられていたので正直、めっちゃ嫌だった。ちょうど入れ替わりで交代になったのだ。

しかし何とか彼とは折り合いを付けないとつまらん日々が襲ってくる…何とかせねば…(@_@;)

WAVE神戸店のマネージャーとして、また、原ブ〜が関西地区部長としての挨拶のも兼ねて大阪のレコードメーカーを回ることになり、長堀通りにあったコロムビア・レコードのビルを見あげた時に、原ブ〜はこう言った。

「斎藤くん、私、コロンビアは苦手なのよ…もし、宮史郎のような顔の支店長が出てきて、❝まんねん!でんがな!❞なんて、言われたらどうしましょう🥵!斎藤くんその時は助けてね!」と言われたのだ。東京ではブイブイ言わせて徒党を組んでその先頭を風を切って歩いていた男が、どうした⁉️関西に来たら味方はおいらしかいないから心細いんのか🤔…でも、おいらはまだ味方にはなっとらんぜ…🤨

コロンビア・レコードの支店長は宮史郎顔ではなく、とても紳士的だった。それでも原ブ〜はそそくさと言いたいことだけを言って早めにコロンビア・レコードを出た。WAVEでは、漫画や演歌のコロンビアにはお願いすることはなかったし、原ブ〜もそんなメーカーに何の興味も持ってなかったのだ。ただJPOPSで唯一、今でこそサザン★オールスターズのリード・ギターで有名な、斎藤誠はコロンビア・レコードからデビューしていた。

そして次に、このミスチルのレコード・メーカーのVAPレコードがある梅田に行った。今はVAP大阪支店はない。VAPレコードの中に、❝トイズ・ファクトリー❞というレーベルがあり、ミスチルはその第一号のミュージシャンだった。支店内には、デビュー・アルバムのポスターが貼り巡らせてあった。原ブ〜は、さっきのコロンビア・レコードに入るときのような緊張感はもうなかったようだった。

原ブー〜は桜井のポスターを見て「いい男ね!ウフッ💙」と言っていた。VAPは抱えているミュージシャンがまだ少なく有名な所では、菊池桃子くらいしか所属してなかった。でも、ミスチルは絶対にヒット‼️すると感じた!

君がいた夏❞はとてもいい曲だ🤠!好きだった女の子に気持ちを伝えられないまま夏が終わってしまい、忘れられない思い出となる”ひと夏の恋”を描いた歌で、青春の甘酸っぱい、青春特有の甘くも切ない情景を呼び起こしてくれるので、今でも聴くと胸キュン!💓になる😆

このミスチルのデビュー✨️アルバムEverythingはそんな後のJPOPS界の頂点👑に立つバンドだということが納得できるヴァラエティーに富んだ佳曲❇️揃いのアルバムだ。ミスチルは初めからミスチルだったね🤠

渋谷系のブリッジ”のカジ・ヒデキ風??🤔
ちょっとビートルズ🍏テイストもあるのかな?
コレは、シュガー・ベイブを意識してるのか?でも桜井のヴォーカルが入ると、ミスチル・サウンドとなる

ところで、原ブ〜はというと、小さなメーカーなら堂々としていた。そんな原田教✙の信者が多いなか、原ブ〜って東京では虚勢張ってるけど、独りになると密かにビビってるとこが可愛いな!🤔と、思った。あんなに関西に来るの嫌がっていたのも分かる気がした。おいらが船橋に赴任した時と同じ不安を持ってきたんやろな。そう思うと原ブ〜を支えてやるか!🥴という気持ちになった。見ていたら行動や発言がおもろいからツッコミどころは沢山ありそうだ。

レコード・メーカー回りが終わったら18時を過ぎていた。原ブ〜は「斎藤くん、やっと終わりましたね。これから飲み🍺に行きましょう!」と言って梅田の東商店街に向かい、関西に慣れた感じで居酒屋の暖簾をくぐった。

原ブ〜は「斎藤くん今日はお疲れ様!🍻」と言って乾杯をした。ジョッキ🍺をグイッと呑んで「あ〜美味しい!🤩」と言って、一仕事終わった満足感に浸っていた。ビールをゴクゴク喉を鳴らして飲んでる様は、まさに漢そのものだった。

ゴクゴクゴクゴク‼️

でも、笑うとエクボができるのを発見した。可愛いがな…🙂 よく見ると鼻筋も通っていてなかなかハンサムなルックスだ。当時の原ブ〜は、40後半だったけど若い頃はかなりモテたやろなぁ〜🤔…と思わせるものだった。

『峰』を吸って煙を吐いた( ゚Д゚)y─┛~~『斎藤くん、吸っていいわよ』と、勧めてくれたので一本もらった。『不味!🤮』おいらはセブン☆スターだったので、『峰』はおっさんの味がした。おいらは沈黙が苦手なので、関西の店長の特徴なんかをのべつまくなし喋っていた。話が一段落した時に彼は言った…

「斎藤くん、今日泊まりに来なさいよ」と…おいらは🍺を吹き出しそうになった。「ハッハッハッ…

過去のコラムにその原ブ〜のマンションに泊まりに行った時の顛末を、書いているので、興味あれば探してみて!(誰が興味あんねん!🥴)

ちなみにおいらがミスチルのすべての曲の中で一番好きなのはこの曲♬です!👇️

作詞・作曲:桜井和寿 編曲:小林武史/Mr.Children

ちなみに原ブ〜の家に招かれて聴かされたレコードの中でもコッコッコレは…༼⁠⁰⁠o⁠⁰⁠;⁠༽『斎藤くんボクはね、シャンソンが好きなのよ!』と言っていたけど、これジャーマン🇩🇪やん⁉️でも、あまりにも雰囲気…が原ブ〜に合いすぎで怖いんですけど…(⁠>⁠0⁠<⁠;⁠)こんなん聴いてるんか…(⁠;⁠ŏ⁠﹏⁠ŏ⁠)

暗闇の中…この曲が何処からとなく聴こえてきて、おいらの部屋は暗くて、襖がツツ…と開くと、逆光になった
原ブ〜が仁王立ちで現れたら…と思うと寝られません༼⁠⁰⁠o⁠⁰⁠;⁠༽
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最近のコメント

4件のコメント

力作、お疲れ様でした!
Saichinにとっての「君がいた夏」の「君」とは、原田部長のことだったんですね。
原田部長はWAVEのジャニー喜多川だったのかもしれません。「ウェストサイド・ストーリー」や「キャット」などのミュージカルが好きだったり、共通点も多そうです。
残念ながら、私は時に彼を突き飛ばしたりしていたので、原田組の組員にはなりきれませんでした。
福井時代の私の部下だったI君は、よく原田部長に電話して私の悪口を言っていたようで、原田部長の前に行くと「いつでもズボンを脱ぐ準備はできている」とばかり、迫っていましたが、残念ながら、顔が彼のタイプではなかったようで、彼の立身出世には役立っていませんでした。
私は梅田WAVE時代「スタッフ全員を美男美女で揃える。」という野望を持ち、30%程度の実現率で道半ばとなりましたが、原田部長も100%美形男子で揃えた店舗をやりたかったのではないかと空想してしまいます。
それにしても昭和というのは恐ろしい時代でもありましたね。

そう!”君”は原田部長だったんです!そうなんです…(⁠@⁠_⁠@⁠) 今思えば、昭和の時代に、ハラスメントなんて言葉のない時代で、やった者勝ち!やられた者負け…の、実にみんな欲望に忠実な時代だった。でも、ある意味とても人間らしい、画一的は組織ではなかったのが思わぬ出来事を生む時代だった。Bobbyさんは、色白で青い動脈が浮き出ているかどうかは知らないけど、原ブ〜のタイプだったのは間違いのないところ。でも、原ブーは言っていました。「彼はいいんだけど、タスマニアデビルのように時に噛みついてくるのが厄介なのよ」と、言ってました。
彼が口癖のように言っていたのは、人事のメガネをかけた辻君だった。絶賛していた!おそらく青い動脈も浮き出ていたんだろう。おいらは「食べたいんですか?」と聞くと、「うん!そうね」と、悪戯小僧っぽくウフフ…と、笑っていた。
原ブーに、大和郡山店の棚卸しの手伝いに行った時に、原ブーも地区部長なので来ていて、終礼の時に、肩腰に煙草臭い息をかけられ、「うん!?何!」と思うと、彼は、いきなりおいらの、タマキンをギュッ!と鷲掴みしてきて、おいらは『あっ!』と声が出てしまい振り向くと原ブーは、イタズラ小僧の顔をして喜色満面で、「大丈夫よ!斎藤くん♡貴方は私のタイプじゃないから(笑)」と、悪戯っぽく笑ってたのが思い出される。
コレでおいらも、原田一家の組員になったのか…と、なんか少しだけ嬉しい気持ちになったのは事実。
ただの組員ではなく、守ってやるんやからそれなりの地位をもらわんと…若頭は譲れんな…
彼は、関西にもおいらにも耐性が出来てきて、そんな悪戯が出来るようになって、良かったね!という、親の気持ちが芽生えたのかも知れません。

原田部長はマウンティングに長けていたんですね。
Saichinはあまり毛づくろいをしてあげないから、若頭になれなかったのかもしれません。大津一家のS組長はその辺が上手かったのかもしれません。
まぁ、あのジャニー喜多川的な悪い癖がなければ、音楽の趣味の幅も広く、魅力的な人でしたね。
来世でお会いする時は女性に生まれ変わって、彼の友達になれたらと思います。

原ブーは、マウント取りたがりやだったと思う。ふと、ジャニー喜多川の行為に、東山紀之が「鬼畜の所業」と言っていたのを思い出した。
鬼畜の所業を原ブーがしたわけではないしね。
おいらは彼に嫌なこと1つ、言われたこともされた事もないから、嫌う理由はないな。
逆に、彼には「大きい声でまくしたてられた怖いから、斎藤くん怒らないでくださいね」と、言われたからマウンテンゴリラの子供のようだった。

Gさんは、Bobbyさんと2人で、大店長会議をすっぽかして、女の子を連れて下呂温泉に行ったことを告白したら、返す言葉がなかったらしく、実はその大胆極まる行為が羨ましかったらしいです。Gさんが崇拝していた、中村天風の教えが今、流行ってるの知ってる?YouTubeで検索してら出てくるよ。

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【サイチンのプロフィール】 某大手音楽ソフトリテイラーとして、長きにわたりマネージャーを務め、その後カリフォルニアスタイルのロングボードサーフ&ファッション・ショップを12年経営した。 ロングボード、ウィンドサーフィン、スキー、スノーボードなどの横乗り系スポーツ、バイク、車、ファッション、映画、旅行、雑貨、B級グルメ等、多岐の趣味を持つ。 音楽に関しては、洋楽、J−POPSのジャンルを問わず、広い知識を持つ。 特に、80年代J−POPSには無類の知識を持っている。 ユーミン、山下 達郎、竹内 まりや、サザン・オール・スターズ、角松 敏生、須藤薫、村田 和人、南 佳孝、稲垣 潤一、今井 美樹、芳野 藤丸(SHOGUN)、大瀧 詠一&ナイアガラ関連etc… 洋楽では70‘sフォーク・ロック、80‘sAOR、フュージョンの知識は豊富である。 所有レコード2000枚以上、CD2000枚以上。(ピーク時) 好きな言葉は"Free&Easy"と"POP"  座右の銘は"明日は明日の風が吹く" そんな"ポップ"なウェア、雑貨、CD&レコードをヤフオクやメルカリにも出品している。 AOR&ウェスト・コースト関連レコード約400枚購入希望の方はコメント欄からお願いします。