
『君がいた夏』は、Mr.Childrenによるデビュー❇️シングル。1992年8月21日にトイズファクトリーより発売された。

FM802の『月間ヘビーローテーション曲にピック・アップされた。関西ではこのヘビー🔁ローテーションは、絶大な力を持っていて、選ばれると1ヶ月の間に頻繁に流れるので、関西では人気No.1のFMステーションだったので、ヒット‼️を約束されたようなものだった。
この曲にはかなり昔だけど、なかなか思い出深いエピソードがあるのでそれを披露したい。

神戸ハーバーランドは、1992年10月にグランド・オープンし、おいらが、神戸西武百貨店の、WAVE神戸店の初代マネージャーに任命され、ちょうど新店舗オープンとして、各レコード・メーカーに挨拶と、協賛をお願いしに、東京からやってきたアルパチーノ似の原田部長という人と共に回っていた。原田部長は東京では絶対な力を持っていて、原田組という大きなグループがあり、まるで白い巨塔の財前教授の総回診如きの、15人くらいの徒党を組んでズンズンと、渋谷の飲み屋街を闊歩していた。チーマーに絡まれたらどうするんやろ??


原ブ〜(原田部長)は、160cm位の小柄で、ヒゲ剃り後が保毛尾田保毛男のように青々としてして、薄いピンクやラベンダー色のドレスシャツを着ていて、ネクタイの結び目が、おにぎりせんべいのように大きく、ヒールの高い革靴を履き、煙草は珍しい「峰」を吸っていた。とにかくビールが大好きで、原ブ〜は全店店長会議のときには、必ず「さぁ!飲み🍺に行きましょう」と号令を掛けると、『原田一家』と呼ばれる主流の店長クラスの人間、十数人が徒党を組んで夜の飲み屋街に出かけていくのだった。
原ブ〜はおいらのようなガタイがデカくワイルドな男は好きではなかった。まして、欧羅巴好きな原ブ〜は、下品な関西を忌み嫌っていたのだ。だが、事情があって関西地区の部長としてやって来たのだ。
「アタシはね〜細く色白で青い血管が浮き出てるような少年っぽい子がが好きなのよ💙斎藤くんみたいにね顔の黒いレスラーみたいな人は苦手なのよ…」と、おいらに言ってきた。要はLGBTで言えば、🅱️のバイセクシャルなのだ。奥さんも子供もいたのだ。実は、原ブ〜は男色💙だったのだ。
まぁ関西では、数人は原ブ〜を崇拝していた店長がいるだけなので、また『原田一家関西支部』でも作るんやろか…『まっ、お手並み拝見!といくか!』いう気持ちだった。
原ブ〜に初めて会ったのは、船橋店に赴任して数日経ってた時に店に現れ、Kマネージャーを相手にもしてなくて、店長代行や周りの店舗の店長は原ブ〜を崇拝していた。何故、原ブ〜はそんなにも崇拝されていたのか…聞くところによると経営陣に批判的で、現場主義だったからだ。それと、1度でもディスクポート西武やWAVEでミュージック・テープを購入した人ならわかるだろうが、中身を抜いて保管していたのだ。だから、店頭に陳列されているのはケースのみなのだ。それは万引き対策として絶大な効果を生み出したという。現場主義と言いながら、現場はとても面倒くさい作業を強いられていたのだ。その中身のカセット。保管するロッカーも特注だった。当時は全国で50店舗あったから、そこそこの経費になっただろう。このシステムの駄目なところは、プレゼントとして、ミュージック・テープを購入しても封を切られているので新品とは言えないのだ。おいらならそれが分かった時点で買わないし、もし買って気付けば返品する代物だった。たまに、中身が見つからない時は、とんでもなくお客さんを待たすことになったり、空ケースだけをパクられ中身だけが残ったテープは『中身テープ』とかいう聞いたことのないようなネーミングで半額で売ったりしていた。でも、それが商品ロスを激減させたことにより、原ブ〜の功績となったのだ。原ブ〜ではなくわ空ブ〜というニックネームの方が良かったかも知れない。話が逸れてしまった。元に🔃戻そう。🥴
おいらは代行にストック整理を任されて、レコード什器の下の扉を開けてゴソゴソレコードを整理してると、人の気配がして、思わず振り返るると原ブ〜が万引きGんのように陰からおいら見ていた。おいらは「誰やねん!この保毛尾田保毛男みたいおっさんは!😬」

と、怪訝な顔をしてたら、なんと彼はおいらを、万引きと勘違いしていたのだ。まだ、赴任したばかりなんで原ブ〜はおいらの顔を知らないし、もちろんおいらも知らない。なんちゅう失礼な奴やねん!😬と、思ったのは言うまでもない。なので、この人の印象は最悪のものとなっていた。
そんな曰く付きの関係の部長が西下してきたのだ。前部長には可愛がられていたので正直、めっちゃ嫌だった。ちょうど入れ替わりで交代になったのだ。
しかし何とか彼とは折り合いを付けないとつまらん日々が襲ってくる…何とかせねば…(@_@;)

WAVE神戸店のマネージャーとして、また、原ブ〜が関西地区部長としての挨拶のも兼ねて大阪のレコードメーカーを回ることになり、長堀通りにあったコロムビア・レコードのビルを見あげた時に、原ブ〜はこう言った。

「斎藤くん、私、コロンビアは苦手なのよ…もし、宮史郎のような顔の支店長が出てきて、❝まんねん!でんがな!❞なんて、言われたらどうしましょう🥵!斎藤くんその時は助けてね!」と言われたのだ。東京ではブイブイ言わせて徒党を組んでその先頭を風を切って歩いていた男が、どうした⁉️関西に来たら味方はおいらしかいないから心細いんのか🤔…でも、おいらはまだ味方にはなっとらんぜ…🤨
コロンビア・レコードの支店長は宮史郎顔ではなく、紳士だった。それでも原ブ〜はそそくさと言いたいことだけを言って早めにコロンビア・レコードを出た。WAVEでは、漫画や演歌のコロンビアにはお願いすることはなかったし、原ブ〜もそんなメーカーに何の興味も持ってなかったのだ。JPOPSでは唯一、今でこそサザン★オールスターズのリード・ギターで有名な、斎藤誠はコロンビア・レコードからデビューしていた。
そして次に、このミスチルのレコード・メーカーのVAPレコードがある梅田に行った。今はVAP大阪支店はない。VAPレコードの中に、トイズ・ファクトリーというレーベルがあり、ミスチルはその第一号のミュージシャンだった。支店内には、デビュー・アルバムのポスターが貼り巡らせてあった。原ブ〜は、さっきのコロンビア・レコードに入るときのような緊張感はもうなかったようだった。


原ブー〜は桜井のポスターを見て「いい男ね!ウフッ💙」と言っていた。VAPは抱えているミュージシャンがまだ少なく有名な所では、菊池桃子くらいしか所属してなかった。でも、ミスチルは絶対に大ヒット‼️すると感じた!
❝君がいた夏❞はとてもいい曲だ🤠 好きだった女の子に気持ちを伝えられないまま夏が終わってしまい、忘れられない思い出となる、”ひと夏の恋”を描いた歌で、青春の甘酸っぱい青春特有の甘くも切ない情景を呼び起こしてくれるので、今でも聴くと胸キュン!💓になる😆このミスチルのデビュー✨️アルバムEverythingはそんな後のJPOPS界の頂点👑に立つバンドだということが納得できるヴァラエティーに富んだ、佳曲❇️揃いだ。ミスチルは初めからミスチルだったね🤠

ところで、原ブ〜はというと、小さなメーカーなら堂々としていた。そんな原田教✙の信者が多いなか、原ブ〜って東京では虚勢張ってるけど、独りになると密かにビビってるとこが可愛いな!🤔と、思った。あんなに関西に来るの嫌がっていたのも分かる気がした。おいらが船橋に赴任した時と同じ不安を持ってきたんやろな。そう思うと原ブ〜を支えてやるか!🥴という気持ちになった。見ていたら行動や発言がおもろいからツッコミどころは沢山ありそうだ。
レコード・メーカー回りが終わったら18時を過ぎていた。原ブ〜は「斎藤くん、やっと終わりましたね。これから飲み🍺に行きましょう!」と言って梅田の東商店街に向かい、関西に慣れた感じで居酒屋の暖簾をくぐった。
原ブ〜は「斎藤くん今日はお疲れ様!🍻」と言って乾杯をした。ジョッキ🍺をグイッと呑んで「あ〜美味しい!🤩」と言って、一仕事終わった満足感に浸っていた。ビールをゴクゴク喉を鳴らして飲んでる様は、まさに漢そのものだった。

でも、笑うとエクボができるのを発見した。可愛いがな…🙂 よく見ると鼻筋も通っていてなかなかハンサムなルックスだ。当時の原ブ〜は、40後半だったけど若い頃はかなりモテたやろなぁ〜🤔…と思わせるものだった。
そして『峰』の煙草吸って煙を吐いた( ゚Д゚)y─┛~~『斎藤くん、吸っていいわよ』と、勧めてくれたので一本もらった。『不味!🤮』おいらは沈黙が苦手なので、関西の店長の特徴なんかをのべつまくなし喋っていた。話が一段落した時に彼は言った…
「斎藤くん、今日泊まりに来なさいよ」と…おいらは🍺を吹き出しそうになった。「ハッハッハッ…原」

過去のコラムにその原ブ〜のマンションに泊まりに行った時の顛末を、書いているので、興味あれば探してみて!(誰が興味あんねん!🥴)
ちなみにおいらがミスチルのすべての曲の中で一番好きなのはこの曲♬です!👇️

ちなみに原ブ〜の家に招かれて聴かされたレコードの中でもコッコッコレは…༼⁰o⁰;༽『斎藤くんボクはね、シャンソンが好きなのよ!』と言っていたけど、これジャーマン🇩🇪やん⁉️でも、あまりにも雰囲気…が原ブ〜に合いすぎで怖いんですけど…(>0<;)こんなん聴いてるんか…(;ŏ﹏ŏ)
原ブ〜が現れたら…と思うと寝られません༼⁰o⁰;༽

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