❝友よこころに風があるか❞は、SHŌGUNの80年代シングル。
❝CITY POP~和モノ・フリーク❞には避けて通れないSHŌGUN、AB’sでお馴染み、J−POPS界一❇️の伊達男😎芳野藤丸を中心に’78に結成されたロック・バンドSHŌGUNの’80アルバム未収録シングル第1期メンバーによる、スケールのデカイ、爽快な日本語詩によるアコースティック・ロック・ナンバーの❝友よ、心に風があるか❞

キャッチーなイントロを聴いただけで、この曲の良さがわかる。爽やかで何故か男の友情を感じるメロディ〜だ。芳野藤丸という男はそういう男なんだろう。西城秀樹との友情で、長年秀樹のバックを務めた男。本物がわかる男なのだ。

50年近く経った今も伝説として語り継がれているロックコンサートがある。1971年7月17日。当時アメリカでトップクラスの人気を誇っていたハードロックバンド、❝グランド・ファンク・レイルロード(以下GFR)❞の来日公演である。会場は、1988年に東京ドームが完成するまでジャイアンツのホームグラウンドだった後楽園球場。
当然屋根はないこの会場を、コンサートの最中、暴風雨が襲う。オープニングアクトの演奏が終わるものの、GFRはなかなか出てこない。約3万人の観衆はずぶ濡れになりながら登場を待ち続け、約1時間半遅れで開演。「アー・ユー・レディ⁉️」でスタートし、人気曲❝ハートブレイカー❞をはさんで、アンコールが❝インサイド・ルッキング・アウト❞ 演奏時間は1時間強と長くはなかったが、暴風雨という想定外の“演出”がコンサートを劇的なものにした。後日、こんな噂がたった。
感電を恐れたGFRは、実際には楽器を演奏せず、テープを流してクチパクしていたのではないかというのだ。驚くべきことに、コンサートから約40年後の2010年、このコンサートの❝ハートブレイカー❞の音源が、なんとYouTubeにアップされた。
カセットでの隠し録りらしく音質は良くないが、演奏と観客の大合唱が生々しく確認できる。GFRが実際に演奏していたことは明らかだ。 GFRの伝説のコンサートから数年後、西城秀樹が❝ハートブレイカー❞を、カヴァーするいくつかのライブ音源があるが、これは1975年に発売された「ヒデキ・オン・ツアー」のもの。1975年7月20日から8月24日まで開催された、秀樹の全国縦断コンサートの模様を収録したアルバムである。
秀樹にこの曲を勧めたのは、当時、秀樹のバックを努めていたギタリストの芳野藤丸。ロックサウンドを追求しようとしていた秀樹が、ロッド・スチュワートのコンサートを観た際、前座のジョー山中バンドで演奏していた藤丸のギターに惚れ込み、直接バックで弾いてくれるよう説得した。
ファンにはよく知られた話だ。それから数年間、藤丸は秀樹にとって音楽面での重要なパートナーになる。このころの秀樹のライブの水準が高いのは、藤丸をはじめロックに精通した腕利きのミュージシャンたちがバックを努めていたからなのだ。
63歳で急逝した西城秀樹。歌手とバックバンドの垣根を越えた親友だった。年は4つ年下の秀樹だったけれど、何でも気軽に話せた友達、いやそれ以上だった。SHŌGUNだって秀樹がいなければ生まれていなかった。「秀樹との出会いがなければ、多分、僕の人生は違っていたでしょう」と、藤丸は語る。
「ライブでの一番の思い出の曲は❝瞳の面影❞ フランキー・ヴァリーのカヴァーで僕が推薦した。美しいバラードを2人でハモって。僕のリードヴォーカルもあって、秀樹がハモってくれた。それも含めて僕の歌声をキングレコードの人が気に入ってくれて、藤丸バンドがアルバムデビューできたんです。78年の秀樹のアルバム『ファースト・フライト』に参加したメンバーが、そのままSHŌGUNへとつながった。「忙しくなるからバンドを離れます」と言ったら、快く送り出してくれて。「ガンバレよっ!」という秀樹の応援があったからこそ、SHŌGUNは成功したと思う。

藤丸は、この曲を演奏する時そんな親友の秀樹の事を思い出してるに違いない…
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「瞳の面影」のカバーを推薦するなんて、芳野藤丸クン、センスいいんですね。ただボーカルは西城秀樹に軍配があがります。この曲はしっとりしたウェットな声じゃないと。
藤丸クンの声は反対にドライなので、ウェスト・コースト・サウンドに向いている気がします。ウェスト・コーストではないけど、洋楽ならボブ・シーガーとか。