❝初恋の通り雨❞は、尾崎亜美が1977年4月20日にリリースした4枚目のシングル。初期の名曲✨️の一つとして知られ、彼女独特の繊細なメロディラインと透明感のある歌声が特徴のキャッチーなチューン🎶。収録アルバムは、2枚目のオリジナルアルバムMind Drops(1977年)に収録。

10代でデビューした彼女の瑞々しい✨️感性が光る❇️楽曲で、のちに多くのアーティストに影響を与えた❝尾崎亜美ワールド❞の原点ともいえる曲♬
この曲を聴くと何故か、イーグルスがグラミー賞🏛️を獲った名曲❇️❝いつわりの瞳〜Lyin’ Eyes❞を思い出してしまう。この軽快なドラムのリム・ショットがそう思わせるのかな🤔…違うとは思うんやけどね🥴。
編曲:ドン・フェルダー

荒井由実を初め、石川セリ、尾崎亜美と、70年代に人気のあった女性シンガーやSSWのアレンジを手掛けた松任谷正隆が全盛の頃の曲。雨が降ってきて、晴れ間がスーッと現れる感じの正隆ちゃんのアレンジが素敵だ!( ꈍᴗꈍ)

(下段)荒井由実・奥田民生・尾崎亜美
1972年にシングル❝返事はいらない❞で荒井由実がデビュー!吉田美奈子は、1973年にアルバム❝扉の冬❞でデビュー。大貫妙子は、1973年に山下達郎らとシュガー・ベイブを結成し、1975年のアルバムSONGSでプロデビュー!

曲と詩のスケール感がとてつもなくデカい!
とても18歳で書ける歌詞ではない。
中島みゆきは、1975年にシングル❝アザミ嬢のララバイ❞でデビュー!同年開催の第6回『世界歌謡祭』で❝時代❞を歌唱し、グランプリ🏆️を受賞し、1976年にはファーストアルバム『私の声が聞こえますか』をリリース。70年代から4つの年代でシングルチャート1位を獲得した唯一の女性アーティストとして知られている。

尾崎亜美は、1976年3月20日にシングル❝冥想❞でデビュ!と、ニュー・ミュージックという新しい呼び名として、女性のSSWが続々とデビュー!
❝ニューミュージック❞というワードの名付け親は富澤一誠(音楽評論家)

時代背景:1970年代中盤頃から「フォーク」や「歌謡曲」とは異なる新しい潮流(ユーミン、陽水、達郎など)を表現する言葉として使われ始めた。
特徴:従来の日本の歌謡曲のような「歌手と作曲家が別」ではなく、SSW(シンガーソングライター)自身が作詞・作曲を手掛け、自分が歌うという、音楽シーンを指す意味合いが強かった。
荒井由実が先駆けとして、後続のSSWはみんな、ユーミンのフォロワーと称された。男性ミュージシャンは、まだフォークに軸足を置いていた頃、女性のSSWが次々に現れ、ニューミュージック旋風が吹き荒れた。
男性のニューミュージックの先駆けは、大瀧詠一、山下達郎、伊藤銀次とされている。大瀧詠一は、1972年11月25日にベルウッド・レコードから発売されたアルバム大瀧詠一それ以前は、ロックバンドはっぴいえんど(1969年)の中心メンバーとして活動していた。

山下達郎はアマチュアバンドの友人達とアルバムADD SOME MUSIC TO YOUR DAYを自主制作する(1972年)この中には、後にシュガー・ベイブのメンバーとなる村松邦男と鰐川己久雄がいた。
井上陽水は、1969年に❝アンドレ・カンドレ❞名義でデビューし、その後1972年に本名の井上陽水名義で❝人生が二度あれば❞をリリースして再デビュー!
吉田拓郎のデビューは1970年6月1日、シングル❝イメージの詩/マークII❞でデビュー! ❝結婚しようよ❞は、1972年1月21日にリリースされた吉田拓郎の4枚目のシングルをリリース。昨日(2026年1月21日)は、この曲の発売からちょうど54周年にあたる。作詞・作曲はよしだたくろう。編曲は、加藤和彦。40万枚以上(あるいは80万枚とも)の大ヒット‼️を記録。

フォークのメジャー化はこの曲から。それまで「反体制」や「暗い」イメージが強かったフォークソングを、明るいラブソングとして浸透させた。男性ミュージシャンのJ-POPの先駆け曲🎶として、加藤和彦によるポップなアレンジと、字余りの歌詞をメロディに乗せる独自のスタイル。
その頃、多羅尾伴内が『日本のポップスの夜明けぜよ!』と、声高々に叫んだとか、叫ばなかったとか…
大きく話が道をそれた(オフ・コース)したけど、当時、彼らはまだフォークソングを歌っていた。デビューは1970年4月5日、シングル❝群衆の中で/陽はまた昇る❞だった。

ニューミュージックから話が広がったけ沢山SSWがいる中で、尾崎亜美は、確かに荒井由実の筆頭のフォロワーだったと思うなぁ〜🤔…吉田美奈子という評論家もいるけど…確かにチャイニーズ・スープ歌ってるけど🤔…
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