秋は🍂別れの季節…❝泣ける歌特集❞します。
INSIDE CHAGE&ASUKA Vは、 チャゲ&飛鳥(現:CHAGE and ASKA)の5作目のオリジナル・アルバム。1984年3月25日リリース。このアルバムに収録されている❝Moonlight Blues❞ こんなにも悲しい別れ歌はそうはない。もしこれほどまでの彼女の気持ちが分かれば、別れを踏み留まろうとするかもしれない✧\(>o<)ノ✧ しかし「別れる!」と、一度心に決めたら後戻りはできないもの…彼女の気持ちが切な過ぎる歌だ(TT)飛鳥は、こんなLyricよく書けるよなぁ〜(ノД`)シクシク
1985年01月25日にリリースしたCHAGE and ASKAアルバム曲Z=Oneのリリース発表コンベンションに行った。
当時は河内長野市の西友千代田店のディスクポート西武千代田店のマネージャーをしていた。売り場の隣にドラッグストアがあり、そこの社員の男性の従姉妹がほその大ファン💟と言うことで、ミナミのレストランでチャゲ&飛鳥のコンベンションに連れて行った。彼女はとてもチャーミングで新日本証券の社員で制服のまま現れた。仕事中に抜けてきたんだろう。もちろん初対面だったけど、おいらは人見知りを一切しないので、直ぐに打ち解けた。おいらはあまりにも彼女が可愛いのでちょっと舞い上がっていたかもしれない。
CHAGE and ASKAのシングルで最高売上282万2450枚を記録した大ヒット曲‼️❝SAY YES❞がリリースされる6年前…1985年の1月21日だったので、まだ一部のファンにしかまだ彼らの良さは知られずにいたと思う。
コンベンションは終始穏やかな雰囲気で進行しコンベンションは終わった。おいらは彼らの飾らない性格に好感を持った。彼女💆も「とても楽しかったです!😆」と言っていた。そんなに飛鳥涼の事が好きなら、なにか彼女が喜ぶ事をしてやりたい気持ちに駆られ、あることを思いついた!🤓💡
チャゲ&飛鳥は、来客の見送りを出口でしていた。おいらは一番最後に敢えて退場するようにして、どうせダメ元だしと思い、その作戦を実行した!

出口に、向かって左にチャゲ、右に飛鳥が控えていた。
おいら🤠「❝オンリーロンリー❞がとても気に入りました🤠」と、伝え2人は笑顔で応えてくれた。彼女はなんかモジモジしてるだけで、飛鳥に声をかけることは出来なかった。そこでおいらは思い切って飛鳥に声を掛けた。
おいら🤠「飛鳥さん!ちょっとお願いがあるんてすけど、聞いてもらえますか?」
飛鳥🧑「えっなになに??」
と、興味津々に聞いてきた。
おいら🤠「彼女、飛鳥さんの大ファン💟で、今日のこのコンベンションを一生の想い出にしてあげたいんです。彼女は見ての通り、仕事抜け出して来たんです。」
飛鳥🧑「何をすればいいの?」
おいら🤠「彼女を抱き上げてもらえませんか?」
と言うと、飛鳥🧑もチャゲ😎も笑いながら
飛鳥🧑「えっ⁉️まぁ〜大丈夫ですけど…」
飛鳥🧑「どうやればいいですか?」
と聞いてきてくれた。「コレはいける!🤠」と確信した。
おいら🤠「彼女をマグロのように二人で抱きかかえてほしいんです」「上半身は飛鳥さんで、腰から下はチャゲさんで…」
チャゲ😎「なんだコレ??(笑)」

ということで、その時の写真がもうないのが残念!まるでマグロの頭の方を飛鳥。尻尾の方をチャゲ…という感じで抱きかかえてくれた。
彼女は真っ赤な顔して、マグロになっていた🤣
おいらは2人🧑😎にお礼を言って握手して笑顔で送ってもらった。2人の優しい人柄に触れた気がした。
彼女はその写真を引き伸ばしてパネルにし一生の宝物✨️にしているらしい。そらそやろ!🤠
それから6年後…❝SAY YES❞のシングル盤が、売上枚数282万枚の大ヒット‼️で、押しも押されもせぬ大スター❇️になったことがとても嬉しかった( ꈍᴗꈍ) デビューからなんと!12年でようやく掴んだオリコン1位👑長かったね〜🥹 ホント2人は九州男児のいい奴らだ。

ちなみに、飛鳥(ASKA)という名前の由来は、大学生時代、片思いをしていたラジオDJの女性がいて、その女性には「飛鳥」という名前の想い人がいたため、恋敵と同じ名前を名乗ることで「振り向かせてやる」という決意を込めて命名したらしい。本名は宮﨑重明。
チャゲは、ちょっと長くて、中学校時代にサッカーでヘディングのやり過ぎからボールの当たる部分だけ髪が薄くなり、最初は「ハゲ」と呼ばれていて、ハゲではかわいそうだから「チャゲ」と変わったことからと言われていた。また、学生時代の学園祭のパンフレットで、本名の後ろに「(HAGE)」と書かれていたが、後ろの「 )」が消えて「(HAGE」になってしまい、前の「(」が「C」に見えて、「CHAGE」と呼ばれるようになったということを本人がテレビで話していた頃もある。本名は柴田秀之。

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