80年代から、アーティスト(SSW)活動と並行し、プロデュース活動も行っていた角松敏生。そのプロデュースワークにスポットを当てたのが角松敏生ワークス GOOD DIGGER 西城秀樹、杏里、布施明、中森明菜などのビッグネームからNOBU CAINE、青木智仁などのインストゥルメンタルまで、まさに縦横無尽な角松ワールドが濃縮されている。


【角松敏生 WORKS 独占インタビュー】
──本作のDISC1には、西城秀樹さんに提供した楽曲❝Through the night❞と❝Sweet Surrender❞が収録されていますね。
角松:秀樹さんとの初セッションは❝Through the night❞でした。84年のアルバム『GENTLE・A MAN』収録曲です。

僕がニューヨークに住み始めた頃で、ヒップホップ勃興期でした。そういうものを吸収していた時代です。今は、小さな子供たちですらダンスを踊っていますが、その源流が形成された時代でもあります。そういう最先端のダンス・カルチャーの影響を受けた音楽を秀樹さんがやったら、面白いケミストリーが起こると思い❝Through the night❞を提供しました。とはいえ、あの頃の僕は、とにかくニューヨークの最先端のダンスミュージックに傾倒していたので、作るものすべてがそっち寄りだったのも事実です(笑)そ

──楽曲提供以前、西城さんとは面識がおありでしたか?
角松:はい。秀樹さんとは同じレコード会社でしたし、担当ディレクターが同じという縁がありました。だから、僕がデビューして間もない頃、秀樹さんのヴォーカル・レコーディングとかを見学させてもらっていました。当然、ご挨拶もさせてもらって。秀樹さんは、国民的大スターなので、緊張しましたよ。私も当時は22やそこらの洟垂れでしたし。でも、すごく気さくに接していただいて。周りを緊張させるスターもいるけど、秀樹さんは逆でした。大らかな兄貴のようでした。何度か飲み会にも参加させてもらえました。時代的にバブルの走りだったこともあり、音楽業界やテレビ業界とか、いろいろな方々が集まっていて。僕はただ目を丸くするばかりだった記憶があります。担当ディレクターに「お金は?」と尋ねると、「全部、秀樹の奢り」と言われ、やっぱり西城秀樹って凄い!と思いました(笑)
そういう距離感だったある日、ディレクターが「角松君に1曲書いて欲しいと、秀樹が言ってるよ」と伝えられ。光栄でしたね。ただ、「僕でいいんですか?」「僕がやるなら、こうなっちゃいますけど、大丈夫ですか?」みたいな確認は、それとなくした気もします(笑)
当時、杏里のプロデュースもしていたので、そこで培ったメソッドであったり、ニューヨークで吸収したヒップホップのエッセンスであったり、いろいろなものを組み合わせて出来たのが❝Through the night❞です。それまでの秀樹さんのオリジナル曲の中にはないタイプのビートだったこともあり、秀樹さんにも凄く気に入ってもらえました。
──シングル曲ではないのにテレビで歌っている映像も残っていますね。
角松:そうみたいですね。テレビでもコンサートでもバックダンサーを入れて歌っている姿をお見かけしていました。 ──その❝Through the night❞の評価が高かった証明が、翌85年のアルバムTWILIGHT MADE···HIDEKIですね。

角松:「アルバムを半分、頼むよ」と言ってもらえました。当時、僕が勝手に思っていたのは、脱歌謡曲的な方向を示したいのかな、ということ。でも、秀樹さんを熱烈に支えている人たちに受け入れてもらえる詞を書く自信がなかったので、当時、仲良くしていただいていた吉田美奈子さんに作詞をお願いしました。僕は、その時代をリアルタイムで描く文学を持ち得ていても、西城秀樹さんのための文学を持ち得ていなかったということです。
だけど、吉田美奈子さんは独自の文学をお持ちですが、アーティストでありながら職人的なこともやってのけてしまう方なので、
<あの西城秀樹が私の書く詞を歌うんだ>という、面白さも感じてもらえるだろうと考えたからです。作詞は吉田美奈子さんと決定するのがプロデュースであって、どういうテーマであるとか、どういう方向であるとかは、お任せしました。結果、秀樹さんにも喜んでもらえました。

──DISC2は、西城秀樹さんの52枚目のシングル曲「BEAT STREET」から始まりますね。吉田美奈子さんのコーラスが歌の世界を広げていると思いましたか?
角松:そうですね。そういう作品にするのがプロデューサーとしての狙いでもありました。美奈子さんには文学があるから、ご自分で歌われると、「これは私が書いた言葉です」という印が見えるというか。匂いがするというか。その有無が作品を豊かにするわけです。もちろん秀樹さんのファンの中には「吉田美奈子って誰?」という方もいらっしゃったと思います。それでも、美奈子さんのコーラスが入っていることにより、絶対に特別な響きに聴こえていたはずです。秀樹さんの声を聴きながらも、美奈子さんの声も渾然一体となって耳に入っていたはずで、その点では、僕がメロディとトラックを作り、美奈子さんが歌詞を書き、コーラスを入れ、秀樹さんが歌うと、こういう面白い作品になるとイメージしたとおりの曲になりました。
80年代、おいらはとにかく角松敏生にハマっていた。ちょっと女々しいファンキー・チューン🎶だ。これ、褒め言葉やからね🤓














これらのアルバムはとにかく、聴きまくったし、今でも持っている。
確かに杏里のプロデュースは大成功を収めたけど、秀樹プロデュースは成功とは言えない。その理由は、シングルがヒット‼️しなかったからだ。
1985年という年は、洋楽ではWham!やMadonna、A-HA等のダンス・ミュージックがブームで、ビート系のサウンドを秀樹に当てたのは、時代の流れだから仕方ないけど、やはり秀樹は歌が巧く、エモーショナルなヴォーカリストなので、ダンス系は、秀樹のヴォーカリストとしての本当の魅力が出ないと思ってた。確かに秀樹は、アップテンポでもバラードでも、何でも歌える素晴らしいのヴォーカリストだ。ならば、角松敏生のプロデュースなら、得意のミディアム・テンポのエモーショナルな曲を、もっと提供して欲しかった。この❝Platinumの雨❞のような…
編曲:数原晋/角松敏生/瀬尾一三
こんなミディアムなバラードがアダルトな秀樹にはお似合いだ🤠違う⁉️
この曲の元ネタは角松敏生のこのチューン🎶だ。
秀樹と角松敏生はレコード・レーベルが同じRVCなので、プロデュースもスムーズだったんだろう。作詞家の吉田美奈子もRVCだから。もっと言えば、竹内まりやも当時は同じレーベルだったしね。達郎も、For YouまではRVCだった。なので、達郎プロデュースの秀樹の曲も聴いてみたかった。
フフフ…😎 誰も知らないやろけど、秀樹のライヴ・アルバムに、なんと!山下達郎のファンキー・チューン❝Bomber❞と❝Someday〜いつか❞があるのだ。
貴重なデュエット👫ソングです。
もう1人、RVCレーベルの人気SSW、桑名正博もカヴァーしてる。ヴォーカル・スタイルが似てるから違和感が全くない!秀と桑名正博は歌巧✨️ツー・トップやね!🤩桑名正博の大ヒット‼️チューン🎶❝哀愁トゥナイト❞をカヴァーした。
1番好きだ!どんだけカッコええねん!🤩
この曲もおいらの十八番なんです。(*ノω・*)テヘ!
なんかスンマセン!😀
やっぱり、秀樹の曲を聴く時って、贅沢な時間やね。
❝では皆様、おやすみなさい…(。-ω-)zzz. . . (。゚ω゚) ハッ!ちゃうちやゃう!起きたとこ!👀❞


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