編曲:船山基紀
イントロ🎶から上がる⤴️⤴️🤩船山基紀のアレンジが冴える❇️❝コバルトの季節のなかで❞は、まさに黄金期を迎えようとしていたジュリーの17枚目のシングルとして1976年に発表されたもの。
クレジットには作曲:沢田研二、作詞:小谷夏と記されている。小谷夏とは演出家の久世光彦のペンネームである。久世光彦とは『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』の演出家。
【船山基紀】

1951年に東亰に生まれた船山基紀は、早稲田大学高等学院から早稲田大学政治経済学部に進んだが、大学3年の時にアルバイトで始めたヤマハの「ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」の仕事で、編曲の基礎を学んだことから音楽の道に進んだ。1974年からフリーの作編曲家として仕事をするようになり、75年にはポプコン出身だった中島みゆきのデビュー・シングル❝アザミ嬢のララバイ❞と、世界歌謡祭でグランプリ👑に選ばれた❝時代❞を続けて手がけたことで、名前を知られるようになった。そしてアグネス・チャンや山口百恵の仕事などで評価が高まり、77年には日本レコード大賞を受賞した沢田研二の❝勝手にしやがれ❞で、歌謡曲のヒットメーカーとして認められた。その一方で五輪真弓❝恋人よ❞や渡辺真知子❝迷い道❞、庄野真代の❝飛んでイスタンブール❞など、ニューミュージック歌謡と呼ばれるタイプの作品でも、次々に斬新なサウンドによるヒット曲を生み出していった。特に、イントロがどれも劇的‼️で素晴らしい!🤓
船山が最初に沢田研二の作品に起用されたのは1976年のことで、シングルの❝コバルトの季節の中で❞だった。作詞した小谷夏はTBSの演出家・久世光彦のペンネーム、これは詞が先にできていたものに沢田自身が作曲した。
船山はその楽曲をフォーク調にアレンジ🎼して完成させたのだが、沢田研二のプロジェクトを仕切っていた渡辺プロダクション側のプロデューサー・木崎賢治にやり直しを命ぜられてしまった。しかし、木崎は出来上がった作品をボツにしたにもかかわらず、もう一度自らが抜擢してきた船山にチャンスを与える。しかも、やり直しとなったヴァージョンでは❝時の過ぎゆくままに❞を作曲した大野克夫が、イントロの印象的なギターのフレーズを書いてくれたという。
❝時の過ぎゆくままに❞と❝勝手にしやがれ❞の2曲のビッグヒット‼️の間(はざま)で、フランス🇫🇷でのリリースも合わせて数曲のシングルがリリースされているが…何れも「連続ヒット‼️」というわけにはいかなかった。

そんな数曲の中でも、この❝コバルトの季節の中で❞は、1971年のソロデビュー以降、ジュリーが最初に自分で作曲したシングル曲としてファンの間では非常に人気の高い曲だという。久世が乗せた歌詞には、主人公が愛する人をすべて肯定し、ずっと見守っていきたいという思いが綴られている。
それはまさにジュリーに心から惚れ込んだ久世の気持ちが、そのまま投影されているかのような内容だった。彼はこの時期、プライベートでも“変化の時期”を迎えていた。この❝コバルトの季節の中で❞を発表した前年の1975年6月4日に、7年間の交際を経てザ・ピーナッツの伊藤エミ(当時34歳)と入籍する。その直後に若気の至りで2度の暴力事件を起こし、約一ヶ月間の謹慎生活を送り…7月26日にこの歌のレコーディングと共に活動を再開する。彼自身、自分を見つめ直し、再出発の思いを込めて作った曲だったのかもしれない。
当時は「テレビでジュリーを見ない日はない」と言われたほどの売れっ子だった彼にとっては、皮肉にもこの謹慎期間中が夫婦水入らずの時間だった。久世が書いたこの優しいラブソングを、彼は愛する新妻のために歌ったのかもしれない…
とにかくおいらはこの❝コバルトの季節のなかで❞は、ジュリーのソングライトのセンス❇️は、なかなかのものだと思う!おいらのコラムのランキングでも、確か2位にランキングしたと思う。それほど優しく、爽やかなジュリーが垣間見れる素敵な曲だ。
❝DJサイチン沢田研二ランキング❞ググって見てください。
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