《沢田 研二 BESTヒット30🎶カウントダウン👊》【第10位】
さあ!いよいよベスト・テン突入‼️(≧▽≦)
※勝手に沢田研二ランキング中!
ジュリーの曲を色分けすると9つのカラー・ジュリーに分類される。これは俺の独断だ。🤠
💙 ロックでカッコいい! ブルー・ジュリー
💛 優しく感動的! オレンヂ・ジュリー
🖤 キザでちょい悪! ブラック・ジュリー
🤎 少し悲しげ哀愁路線! ブラウン・ジュリー
💚 なんて爽やか! グリーン・ジュリー
❤ 一途な情熱! レッド・ジュリー
🤍 ブライトポップ! ホワイト・ジュリー
💜 ロマンチックでエモーショナル! パープル・ジュリー
💟 ちょっと可愛い! ピンク・ジュリー(ノリ重視で、歌詞にあまり意味がない)
💜 パープル・ジュリー
沢田研二の10枚目のシングル
⚪リリース:1974年7月10日
🌟第16回日本レコード大賞・歌唱賞受賞🏆
《チャート最高順位🔝》
⚪オリコンチャート 1位👑
“追憶“は、加瀬邦彦氏の作曲で『マイナー』からサビで『メジャー』に変わる‥という斬新な試みがある。”ホ短調”で始まった曲がサビで”ホ長調”に転調している。絶望に似た悲しみの空気が漂う中、パッと!眼前が開け、明るく希望に満ち、情熱的🔥な雰囲気に変わる。これはまさにビートルズの手法ではないだろうか…ビートルズ好きの加瀬邦彦氏らしい発想だ。
加瀬邦彦氏は、ジュリーを介してさらなる新境地を求めて、この曲に大胆な転調を施し『勝負曲👊‼️』としてリリース!見事!オリコンチャート1位👑を獲得したのだ。
加瀬氏作曲のジュリーのシングルには「今度はこうしてみよう!こう変えてみよう」という挑戦の連続だった。加瀬氏はジュリーという素晴らしいアウトプット・シンガーと、安井かずみというパッショニスタがいたから、自由に曲作りが出来たのだろう。そして忘れてはならないのは、劇的なイントロをアレンジした東海林修氏のワークスが光る!
ジュリーが”傷だらけのローラ”を歌い秀樹が”危険なふたり”を歌ってもハマるやろね。🤗
「追憶」名曲ですね。
ところで、「ニーナ」と言われても当時は「ロックバルーンは99」も発売されていなかったので、ニーナ・シモンの顔しか思い浮かばず、どうしても作品世界に没入できなかった記憶があります。
ニナ・ハーゲンが当時デビューしていても違和感がありますね。
“ロックバルーンは99″、ニーナでネーナ!
ちなみにアルバム1枚リリースして日本でヒット!したので、来日したけど、プレイする曲が少なく、”ロックバルーン”を4回も演奏したらしい。
ニーナは二名敦子もいたし、蜷川幸雄氏もいたけどね。