🕺🕺Love Machine🎙The Miracles euphoria💟music〜多幸感💛音楽🎶洋楽Soul🤎Disco編🇺🇸

作詞・作曲:Warren “Pete” Moore 編曲:Freda Payne

1972年にスモーキー・ロビンソンがグループを離れた後名曲🎶”Love Machine” タイトルが”Love Machine Part.1“と表示されている。通常ラジオ📻などでオン・エアされる時も、大体の場合がPart.1まででフェイドアウトしているので、なかなかPart.2を耳にすることはないけどインストルメンタル➕コーラスだけでもコレがまた、ノレるのだ💃

オイラが18歳の時に、三宮北にあった”チェリー・レーン“というディスコ🌐が存在した。何故行ったのかは思い出せない。まだ未成年だったので、入店にはかなり勇気がいったと思う。まして、男同士では入店できないのが当時のディスコ。連れの彼女を使って入店したんだろう。三宮にはチェリーレーンの他にも、ディスコ45、セキーナ、ル・キャステル、アースクェイク、キサナドゥ、スーパーステーション、Key West等があり、アースクェイクと、スーパーステーション以外は全て行った。でも比較的大箱ではなかったこじんまりとした”チェリーレーン”が好きだった。

作詞・作曲:Lamont Dozier Herbert・Brian Holland・Eddie Holland

当時は、”ポイント👆”と呼ばれるステップが流行っていて、オイラは理由もわからずに、両手の指を掲げて☝️踊っていた。今、思い出すと、とても恥ずかしい(*ノω・*)テヘ!

当時の、ファッションはニュー・トラが全盛期で、ヨーロビアン的なチェーン柄のシャツにカラフルなニットフレアパンツに、GUCCIのベルト、チェーン・ローファーという出立ちが流行ったのだ。このニュー・トラブームと、ほぼ同時に『傷だらけの天使』が放映され、ショーケンがワイルドにカッコよく着こなすBIGIやCOMME des GARCONSのDC.ブランドのブームが席巻したのだ。アイテムは、ソフト・バギーパンツに無地のシャツに下に白Tを着るのが、ショーケンスタイルだった。コンビの革靴に、Ray-Banのシューター・ティア・ドロップで一丁上がりだった。

74年に突然訪れたディスコ・ブーム。オイラはハマってしまい、週2のペースで行っていた。当時のディスコでオン・エアされる曲のベスト3は、KC&ザ・サンシャイン・バンドの”ザッツ・ザ・ウェイ“バンザイの”チャイニーズ・カンフー“そして、このミラクルズの”ラブ・マシーンPart.1“だった。特に、チャイニーズ・カンフーのドラが鳴ったら、ソファーを飛び越してフロアーに駆け込んだものだ。😁

作詞:L.Subway 作曲:L.Subway 編曲:Banzaii(バンザイ)

どれもイントロが流れると、全員が、一斉にフロアーに流れ込んできて、鏡のある良いポジションを確保したものだ。今考えると、何で自分の踊る姿を見ながら踊ってたんやろ??ナルシストでもでもないのに…🥴

この”ラブ・マシーン“のサビの”ラ〜ララララ〜🎶”のコーラスが好きで、踊りながら恍惚💚とした気分になったものだ。(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)

アイム・ジャスト・ア・老婆心〜🎶”😁

後にWham!がカヴァーしたチューン🎶も、原曲に忠実でとても素晴らしい出来だ。

今でも、年に1度は、三宮の飲み屋街東門の”月世界”やライブ・ハウスの、”チキン・ジョージ”あたりで、ディスコ・クラシックスのイベントが行われている。いつかは、ムーン・ウォークならぬ、アース・ウォーク(普通に歩いて)でフロアーに現れてやるからな😁

https://youtu.be/bJvhhYVBcTE?feature=shared
作曲者:Ary Barroso.
“ソウル・ドラキュラ”はヤンキーが好んで踊ってました。オイラは1度も踊りませんでした。
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8件のコメント

「ラヴマシーン」大好きでした。「ザッツ・ザ・ウェイ」も。
ただディスコなんか行ったことのない中学生としては、ディスコ・ミュージックはあまり得意ではありませんでした。
特に日本だけで流行っていた「ソウル・ドラキュラ」とか「ソウル・フランケンシュタイン」とかは忌み嫌っていました。 
全米トップ40至上主義少年だったので、ディスコ+カンフーものなら、カール・ダグラスの「カンフー・ファイティング」は大好きでしたが。

やはりディスコは体験したほうがいい。俺は、第一次は〜第三次ブームまで体験してるから。一次は、KCアンドサン・シャインバンド。二次は、ドゥビーブラザーズ等のAOR、第三次は、ポリス等のニューウェーブやマドンナ。そんな音楽の流行の変遷でディスコでかかる曲も様変わりしてたな。

おっしゃる通りですね。
私も大学生になってからは、厚木基地のそばにあるアメリカ人向けのどす黒いファンクしかかからないディスコ、六本木にある最先端のニュー・ウェイヴしかかからない先鋭的なディスコ、歌舞伎町にある田原俊彦やジュリーが頻繁にかかるウェストコースト風内装のナンパ系ディスコなどに行って、踊りながら爆音のナンバーを楽しみました。
六本木では途中で追い出されましたが。

へぇ~君がディスコ行ってたのは知らなかった。何故、六本木のディスコ追い出されたのかな??ポール・マッカートニーとWINGの”Listen to What the Man Said”って事ですかい?(⁠゜⁠o⁠゜⁠;

青学の女子に連れられて、サークルのメンバー8人ぐらいで行ったのですが、半数の野郎どもが音楽ともディスコとも無縁で、フロアでタコ踊りをしていたので、常連の青学女子がスタッフから注意されてしまったのです。
死ぬほど恥ずかしかったと言われました。

(笑)そういうことね?(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)でも、オイラも、似たような経験してて、ミナミのアマゾンクラブというディスコに7人で行って、フロアでブレイクダンスの真似事をして、クルクル回ってるうちに、ポケットから小銭がバラ・バラとあちこちに撒き散らして、マイク通して怒られたことあつまたわ(*ノω・*)テヘ!

つかしん時代、O.M嬢と梅田のマハラジャに行った時、O.M嬢がお立ち台の上に乗って踊りだしたので、楽しそうだなと思い、私も乗って踊っていたら、イカツイ黒服が寄ってきて有無を言わさず降ろされてしまったことがありました。
こちらは男が乗ったらいけないなんて不文律は知らなかったので、一瞬殴ってやろうと思いましたが、相手が強そうなので、諦めました。

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saichin
【サイチンのプロフィール】 某大手音楽ソフトリテイラーとして、長きにわたりマネージャーを務め、その後カリフォルニアスタイルのロングボードサーフ&ファッション・ショップを12年経営した。 ロングボード、ウィンドサーフィン、スキー、スノーボードなどの横乗り系スポーツ、バイク、車、ファッション、映画、旅行、雑貨、B級グルメ等、多岐の趣味を持つ。 音楽に関しては、洋楽、J−POPSのジャンルを問わず、広い知識を持つ。 特に、80年代J−POPSには無類の知識を持っている。 ユーミン、山下 達郎、竹内 まりあ.サザン・オールスターズ、角松 敏生、須藤薫、村田 和人、南 佳孝、稲垣 潤一、今井 美樹、芳野 藤丸(SHOGUN)、大瀧詠一&ナイアガラ関連etc… 洋楽では70‘sフォーク・ロック、80‘sAOR、フュージョンの知識は豊富である。 所有レコード2000枚以上、CD2000枚以上。(ピーク時) 好きな言葉は"Free&Easy"と"POP"  座右の銘は"明日は明日の風が吹く" そんな"ポップ"なウェア、雑貨、CD&レコードをヤフオクやメルカリにも出品している。 AOR&ウェスト・コースト関連レコード約400枚購入希望の方はコメント欄からお願いします。